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 新しい風

すぅー・・・ドキドキドキ。
ああ、緊張する。私、今日からここで働くんだ・・・!
第一声は大事。落ち着いて、落ち着いて。

右手に鞄のストラップを握ってふぅっと大きく深呼吸。えいとばかりに左手でドアのノブをつかみ、裏口のドアを開けた。
その途端、ほこっとした湯気が彼女を包み込む。
「おっ、おはようございます、アレイユ・サクリスタです。今日からよろしくお願いします!」
ここ、カフェ・アクアポットで新しく働くことになった少女である。
いつもは後ろで大きく波打っている濃いオレンジ色の髪も今日は束ねて、あちこちはねているクセ毛もピンで押さえてある。
「おはよう」「おはよう!」
ここで働くほかの従業員達はその姿を認めると、緊張で固まってこちこちになっているアレイユのそれとは正反対の、やわらかい笑顔で挨拶を返してきた。

三角屋根の1階建て。カフェだけではなく同時に水先案内店も営んでおり、観光客が持つこの街のイメージを形で表すならこれ程似つかわしい建物もないだろう。柱や壁は明るい木目をそのまま生かしてあるが白を基調とし、アクセントカラーには社色であるターコイズアクアが使われている。ネオ・ヴェネツィアを映した様なその青とも緑ともつかない深みのある色。それは従業員の制服にもあしらわれており、見る者に清涼感すら与えるのだった。テラスはたっぷりとした水が流れる運河に沿うように配置されており、静かに落ち着けるカフェだった。
店内のいたるところにグリーンが飾られ、ガラス窓から入ってくる明るい陽光を受けて瑞々しく若葉をしげらせている。若葉の影はオーナーがどこからか集めてくる趣味の良いオブジェの上に落ち、より一層その存在感を引き出していた。
店構えは決して大きくないが、その内外観の美しさと、働いている従業員の接客態度の良さでしばしば雑誌にも特集されるようなカフェだった。
もっとも、アレイユは早くから自分の足でここを見つけてお気に入りの場所としていた。その為初めて雑誌に紹介された時には、小さい子どもが大人に秘密基地を見つけられてしまったような、残念で寂しい気分になったものだった。と同時に自分の感覚は間違ってなかったのだと、少しだけ誇らしく思ったのも事実なのだが。

しかし、まさかその場所で自分が働けるようになるとは・・・
「ミル~~~!!」
白いふわふわした動物が走ってきたかと思うとアレイユの腕の中に飛び込んだ。
「あ、ミル社長、おはようございます。今日からよろしくお願いしますね」
良く知った顔を見つけて、そこで漸くホッとした。ふわふわした体に従業員達の制服と同じ配色のケープを羽織り、紺色のリボンと小さな耳には赤い飾りもつけている。ミルティは火星猫の子ども。小さいながらも、人の言葉を理解する能力は持っている。握手するようにアレイユは足を握る。『彼女』は水先案内店の方でゴンドラをお見送りする日々を送っており、その愛らしさと人懐っこさで人気を集めていた。

「アレイユちゃん、今日からよろしくね。じゃぁ、早速制服に着替えてもらおうかなっ」
そういって案内してくれたのは、全従業員憧れの的である、アユリナ・ミルフィール。
柔らかい物腰とサファイアをまぶしたスノーブルーの髪、瞳はアメジスト。
水先案内店をも営んでいるこの店での唯一のウンディーネ兼ウェイトレスであり、彼女目当てのお客もかなり多い。
「は・・・はいっ!」

「お仕事は少しずつ覚えていけばいいから。私もみんなもフォローするし。分からないことがあったらなんでも聞いてね」
「ありがとうございます・・・」
ずっと眺めるだけだった憧れの制服を目の前にして改めて誇らしさがこみ上げてきたが、同時に不安でもあった。
(どうしよう・・・やっぱり、あたしに接客なんて出来るのかな)
「大丈夫ッ!」
え、と振り向くとアユリナがにこにこ微笑んでいる。
「アレイユちゃんはこのお店のことを好きになってくれたんでしょ?だったら何も心配要らないわよ。ここのお客さんはみんなアレイユちゃんと同じ。このアクアポットが好きで来て下さってるんだから。
言い換えればお友だちね。お友だち相手ならそんなに緊張することもないでしょ?」
その言葉はアレイユの中に残っていた小さな不安をきれいに吹き飛ばした。
「・・・はいっ!」

こうして、アクアポットで働く日々が始まった。



アレイユが働き出して一ヶ月。
(今日は仕事、お休みだけどお店に行っちゃおうかな・・・久しぶりにお客として。)

「あれどうしたの?今日はお休みじゃなかった?」
表入り口から入ってきたアレイユを見て、いつも仕事を教えてくれている蒼乃が声をかけた。
「はい、そうなんですけど、今日はゆっくりお茶を飲みたいなと思って・・・」
「そうなの。じゃあテラスを使う?」
「え、いいんですか?嬉しい!」

運河からの風にのんびりしながら過ごしていると、このお店に憧れていたころの気持ちが戻ってきた。

(・・・やっぱりこのお店って素敵だよねぇ・・・)
読んでいた本から少し目を離して改めて店を眺めてみる。
店の前には運河が通り、気候の良い時期には今のように外でお茶を楽しむことも出来る。外でお茶を飲んでいるのと同じ感覚を、ということで大きく取られた窓からはいつもキラキラと輝く太陽の光が降り注ぎ、店内を照らしている。その光の中には小ぶりながらもしっかりとしたパイン素材の丸型テーブル。周りには同じ材質で出来たイスがお互いに邪魔にならないように配置されている。広い店内に数組しか座れないようになっているのは、ここでゆっくりした時間を過ごしてほしいというオーナーのこだわりだ。
使用されている食器類も白とターコイズアクアで統一されており、出されるカフェメニューの色を更に引き立てる。
水先案内に使われるゴンドラさえも店の一部なのではないかと思われるほど白く磨き上げられていて、運河にゆっくりと漂っているのだった。

(うん、頑張ろう!)
自分が勤めている店に満足してまた本に目を戻した時、カラン、とドアが鳴った。
「あの~、テラスでお茶したいんですけど、大丈夫ですか?」
入ってきたのはロングカーデを羽織り、ショートパンツをはいた明るいピンクの髪をした女の子。
すぐに用意いたします、という声を聞いて安心したように続ける。
「良かったぁ、藍華ちゃん、アリスちゃん、大丈夫だって!」
「へぇいい雰囲気のお店じゃない!さっすが灯里!いつの間に見つけたのよー」
「灯里先輩、でっかいでかしましたです」

(あれ、この人たちどこかで・・・?)
見覚えがある気はするのだが、どうにも思い出せない。
「えっと、ミルクチョコパフェ3つ下さい」
「はい、かしこまりました」
記憶の糸をたどるアレイユから少し離れた席では、注文を終えた3人のにぎやかな声がしている。
「ちょっと灯里っ、何で勝手に決めるのよ!あたし今日はケーキが食べたかったのにっ」
「えぇぇ~~、だってここのパフェすごくおいしいんだよ~!」
「藍華先輩、ここは案内してくださった灯里先輩の舌を信じましょう」
「後輩ちゃんは食べたい物なかったの?」
「今日は灯里先輩が素敵なお店に連れてってくださるというので、お任せするつもりで来ました」
「ありがとー、アリスちゃん」
「もーっ!しょうがない、食べてあげるわよー」
アレイユは読んでいた本から目を離して3人を見つめていた。
テラスに座って楽しそうにおしゃべりしている様子は普通の女の子だ。特に変わったところもない。
と、ふと頭に浮かんだことがある。それは、3人がゴンドラを漕いでいる風景。
(でも確か、違う会社の人たち・・・だったよね?)
「アレイユちゃん?」
急に声をかけられて思わず振り向くと、そこにはミル社長を抱いているアユリナがいた。
ウンディーネの制服に身を包んでいると『水色の春風』の通り名が表すように、ふわっとした軽やかな雰囲気が増す。
「今日はお休みなのにお店に来てたのね。一緒に座っていい?」
思わず見とれてぼぅっとしていたアレイユは慌てて椅子をずらす。
「あ、はい勿論! 今日のお仕事は終わったんですか?」
「うん、今日は1件だけだったから。ところで・・・あの子達が気になる?」
何の話なのかは分からないが、蒼い髪の女の子が立ち上がって熱弁を振るっているのを、他の2人が慌てて止めている様に見える。
「はい。違う会社なのに、すごく仲がいいウンディーネさん達だなーって・・・」
「ふふ、あの子達ね、ウンディーネ業界じゃちょっと有名なの。いっつも一緒に練習してるのよ。いいよね、お互いに<刺激しあえる仲間って」
「アユリナさんには、そういう人たちはいなかったんですか?」
「そうねぇ、うちは少数だから・・・先輩はいるけど、同期や後輩はいなかったから」
「じゃあいつも先輩と一緒に練習を?」
「そうよ。もちろん、それも楽しかったけど」
「そうなんですか・・・」
ミル社長は2人の話を聞いているのかいないのか、テーブルの上にあったアプリコットクッキーをかじっている。これは店でコーヒーや紅茶をオーダーしたお客へサービスとして付けている物であるが、商品化して欲しいという声も多い。
2人で話をしていると、女の子達の所へミルクチョコパフェが運ばれてきた。
「わぁ、美味しそう~!」
「いただきます」
「ねっ藍華ちゃん、どう、どう?」
「・・・んっ、まぁケーキは次の機会にしておいてあげるわ」
「藍華先輩素直じゃありません。美味しい時は美味しいと素直に言うべきです」
「うーん、このミルクチョコとバニラアイスがうまーく溶け合ってるのがいいよね。水の中から空とか月を見た時みたいに、ふわぁっと輪郭がなくなる感じ・・・」
「恥ずかしいセリフ禁止っ!」
「ええ~~」
「明日は観光案内の練習だからね!灯里も後輩ちゃんもしっかり声出すのよ!」
「藍華ちゃん、折角のオフに美味しいもの食べてるんだから、練習のこと考えるのよそうよ~。ね、アリスちゃん?」
「・・・///」
「ダメよ灯里。もくもくと食べてる後輩ちゃんには話、通じないわよ」
3人の声を聞きながら
「観光案内かぁ、私もいっぱい練習したなぁ・・・」
「え、アユリナさんがですか?」
「もちろん!何事も練習しないと出来るようにならないから」
「私、アユリナさんは始めから何でも出来る人なんだと思ってました。カフェでの接客も丁寧で素早くて、ウンディーネとしても一流で・・・
アユリナさんがゴンドラを漕いでいる姿を見ました。乗っているお客さんはみんな笑顔で、水面にはきれいに波ができて・・・漕ぐ姿だけじゃなく、通った後も素敵でした。」
「ありがとう。でも、私も最初の頃は接客が苦手だったの」
「そんな風には思えないです」
「うん・・・、何度も覚えて繰り返して、また失敗したら練習して。アレイユちゃんも、最初はあんなに緊張してたのに今じゃすっかり上手くなって。一ヶ月でここまでになったんだから、すごいと思うわよ」
「あ、ありがとうございます・・・」
憧れのアユリナに真正面から褒められて、アレイユは思わず顔を赤くしてうつむいてしまった。
「じゃあ、次の練習は・・・ゴンドラかな?」
「え?」
はっと顔を上げるとアユリナがまっすぐこちらを見ている。
「アレイユちゃん、本当はウンディーネになりたいんでしょ?」
「え!いいえ、じゃなくて、あの、その・・・」
あまり慌てたものだから足をテーブルにぶつけた挙句、ティーポットを落としそうになってしまった。
そうなのだ。
アクアポットで働くことを決めたのも、引っ込み思案を矯正するため接客がしたい、というのもあったがそもそもアユリナという『憧れ』がそこにあったからだ。理想のお店で働く、理想の人が。
スクールに通っている間、何度もその姿を運河で見かけた。ある時は大勢のお客を乗せて、ある時は夕暮れの街を一人で・・・
風にそよぐ髪も、優雅な手つきも、良く通る澄んだ声も全てアレイユの頭の中に鮮やかな映像として残っている。
お気に入りのカフェでその姿を見つけた時には、思わず本で顔を隠してその姿を追った。私なんかの顔を知っているはずないのに・・・なんて自分でもおかしくなってしまった。
なのに、アユリナは知っていると言う。
(言ったことあったかな・・・?)
「どうして分かったか、タネ明かししてあげようかっ??」
アユリナが悪戯っぽく笑っている。何が何だかさっぱり分からないアレイユは、こくこくとうなずいた。
「今日は彼女達、制服着てないのにどうしてウンディーネの卵だって分かったの?」
そう言われて、あっと気付いた。

「それに、私たちが初めて会った時のことを覚えてる?」
アユリナにそう言われて、おぼろげに思い出したのは。
あれは確か、まだお客としてカフェに来ていた時。
「はい、ミル社長が私の腕に飛び込んで来たのを、アユリナさんが迎えに来て・・・」
憧れのアユリナと初めて話すことができたのだった。
「そう。その時アレイユちゃんはこう言ったの。『この子猫、青い瞳なんですね』って。」
「そんなこと言いましたっけ?ええっと?」
アレイユは思わずそばにいたミル社長を抱き上げて、確認するようにその瞳を覗き込んだ。小さな、だが確かに青い瞳はキラキラとこちらを見つめている。
「私、その時に思ったの。ああ、この子はウンディーネになりたいのかな、って。
ミル社長はまだ子猫だから、人は『小さいんですね』とか、『白くてふわふわですね』とか、そういうことを言うのよ。でもアレイユちゃんは違った。瞳を見てた。水先案内店を営むお店はみんな青い瞳の猫を社長にしてるっていうのを無意識に思い出したのね」
「・・・」
「まぁそれだけじゃないんだけど」
そこでクスッと笑ってミル社長の方を見た。
「ミル社長ってば、ウンディーネスカウトの名人なの!」
「へ?」
「オーナーに聞けば分かるわよっ。うちの会社のウンディーネは、みんなミル社長が選んでるんだから。もともとミル社長は人懐っこいんだけど、何故か初対面で飛びつかれた人、みんなアクアポットのウンディーネになってるんですって」
「じゃあ、アユリナさんも・・・?」
「うん、私もミル社長に、腕に飛び込まれたの。そうやって」
腕の中でミルがこちらをじっと見ている。まだまだ小さい子猫。だが、その子猫が私を選んだというの?ウンディーネとして?
青い宝石のような目がこちらを見ている。そう、一緒にゴンドラを漕いでみようよって。
言葉は違っても、分かりあえる。アレイユの目にじわじわっと涙が浮かんだ。
「ミル社長ーーーー!!!」
「ミルルーーーン!!!」
がばっと抱き合う、まだ卵にさえなっていない未来のウンディーネとふわふわのアクア子猫。
「じゃあ決まりッ!」
そう言って、アユリナは椅子から立ち上がった。にこっと笑って手を差し伸べる。
「改めまして、ようこそアクアポットへ。これからよろしくね、アレイユちゃん」
「・・・はいっ!」



<了>



+後記+ (続きへ)



一言感想を言うなら・・・
楽 し か っ た で す ☆

作中の、アユリナさんとミル社長及びカフェ(水先案内店)は芳野さんの、アレイユは悠木のオリジナルです。

勿論他の方の大事な大事な娘さんを書くので緊張もしましたー;;;

透き通るようなイメージのアクアポットが書ければ良かったんですが・・・
他の話を書くことがあればまだまだ頑張りたいです。

『ARIA』3人娘の日常のような会話を書けた事も大満足☆

大好きな作品の世界観で自分のキャラを動かすことが出来たのはとても幸せです。


自分のオリキャラをこうして出す機会を企画してくださった 水先案内人同盟
さま、並びに

アユリナさんとアクアポットを一緒に使わせてくださった芳野さんに、最大級の感謝を・・・♪


2009.01
 

悠木 桂
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